白哉と緋真 2
その翌朝より 朽木の屋敷から・・・・・精霊廷から、緋真の気配が消えた。
夜には 戻るのかと思ったが 戻る事は無かった。
母の逆鱗に触れ、放逐されたのかと思い、侍従長・清家篤允に緋真の行方を確認した。
「もともとの予定通り休暇で『宿下がり』で実家に戻っているだけでございます。」
「では、重ねて尋ねるが、実家とはどこなのだ?」
「申し訳ございません。
調香師・緋真に関しては 大奥様が出入りの駿河屋の紹介にて雇い入れているため、
身元は確かなようでございますが、こちらには委細報告を頂いておりません。」
「・・・・・・・・・身元が確かならば、もうよい。」
あの母が 自分の侍女を勝手に雇い入れ、すぐに放逐するなど珍しいことではない。
それを『調香師』とはいえ、たかが使用人一人に何故このように気にかけているのか。
白哉は そんな己に自嘲せずにはいられなかった。
それでも毎晩気配を捜して 緋真が屋敷に戻ったのを確認できたのは四日後のことだった。
私の気配に気付かない、その晩の緋真はとても疲れ、とても弱々しく見えた。
奥庭の飛び石の上に腰掛けてぼんやりと月を見上げている緋真はいつもの赤子の着物と
共に紫の飾り紐の付いた懐剣を握り締めていた。
通常 『宿下がり』となれば、実家に帰り、皆生き生きとして戻ってくるもの。
ますます 不可思議な娘だ。
「ーーー緋真。
如何した? 何かあったのか? 」
緋真はゆっくりと大きな潤んだ瞳で私を見上げてくる。
無言のまま緩慢に首が振られると、短く切られた艶やかな髪が肩口で揺れる。
「ーーーこんばんは、御当主様。
・・・・・別に何も、 何もございません。」
「では、何ゆえそのような様子なのだ?」
私の質問に悲しそうな顔をするとまた月を見上げた。
「何も無い事が辛い事もあるのです。
どうにもならない事があるのです。」
「ーーーどうにもならない事など無い。
それは 努力しないもののいい訳だ。
私は ずっとそう思っていた・・・・・。
だが、 今なら分かる。
努力だけでは どうしようもない事もあるのだと。」
微かに笑みを浮かべると初めて緋真が私を見た。
「・・・・・・ありがとうございます。」
「緋真様?!」 母付きの侍女、雪李が かけ寄ってくる。
「あぁ・・・御当主様、申し訳ありません。
どうしよう・・・・。 すみません。
緋真様は すぐ無理をなさるので 目を離すなと、大奥様から申し
付けられておりましたのに。
申し訳ありません。」
私が居た事にかなり動揺して謝罪を連ねる。
だが、私はあの母が、緋真に侍女を付けて世話をさせていた事に驚いていた。
「雪李殿、 ご心配をお掛けして申し訳ありません。」
「緋真様は熱がまだ下がっていらっしゃらないのですよ。
お願いです。
大人しくお休みくださいませ。
私が大奥様に叱られてしまいます。」
「はい。ごめんなさい。
では、御当主様、失礼致します。」
去りゆく青白くとさえ見える緋真の横顔が 儚く消えてしまいそうな喪失感を私に
植え付けていった。
こんな風に私は 毎晩のように緋真に会いに行くようになっていった。
だが、他愛のない話を二言三言交わし、大抵は子守唄を唄わせて別れた。
私はいろいろと緋真に聞いてみたかった。
緋真のことを詳しく知りたかった。
だが、あの晩に 「如何した?」と、尋ねても曖昧な回答しかしなかった緋真に
無理に問い質すことも憚られ、聞けずにいた。
そうして いつの間にか 緋真が朽木家に現れてから、二年の月日が経っていた。
毎月一度 緋真は『宿下がり』で3.4日 実家に戻り、ぐったりと気力、体力を
殺いで戻ってきていたーー酷い時には 何日も寝込む程に。
ある晩、私は 緋真のあまりに憔悴した様子に思わず尋ねていた。
「毎回『宿下がり』してはそのように疲弊して戻ってくるが、大丈夫なのか?」
すると、庭石に腰掛けて 血の気を失った白い能面のような無表情で膝に置いた手で
いつもの着物を握り締めていた緋真は抑揚のない声で話しはじめた。
「私は 流魂街・戌吊出身なんです。
そこに暮らす怖さに絶えられず、大事な赤子を手放したのです。
安全に暮らせるようになった今更、『宿下がり』をしては 捨てた赤子を
捜しているのです。」
私は緋真の口から語られた思いがけない言葉 『流魂街・戌吊』『赤子を捨てた』に
頭を殴られた様な衝撃を受けた。
いつも胸に赤子の着物を抱いていたので『子供』がいるだろうと予想はしていたが、
まさか その様な非道を緋真がしたとは 俄かに信じられずにいた。
言葉も無く呆然と立ち尽くす私にゆっくりと緋真がその白い相貌を向けてくる。
怖いほど清浄な微笑を浮かべると
「非情い話でしょう。
−−−−−身勝手に・・・無責任に手放した赤子を想って、
今さら・・・・・夜毎 子守唄を唄っている・・・・のです。
そのような愚か者にお気遣いは無用です。」
そう言って ゆっくりと緋真は 立ち上がる。
「−−−緋真。 そなたは 結婚していたのか?」
「いいえ。」
ーーー心臓が重く黒い鉛になってしまったかのように苦しかった。−−−−
翌日、私は 母のいる西の対屋に足に向けた。
母の居室で待っていると 侍女によって襖が開けられ、相変わらずの感情の
ない人形のようなとても美しいけれど、何の感慨も抱かせない白い相貌で
私を見下ろしてくる。
人を寄せ付けない深い森の静かな湖面のような静かで冷たい双眸・・・・・。
幼き頃、転んで倒れている私を抱き上げもせず ただその冷たい双眸で見下ろして
通り過ぎた時と同じ・・・・・・ この人は変わらない。
尸魂界一美しいと 称えられたその相貌は美しいまま、何も寄せ付けず、
子供である私に関心を持つ事も無かった。
「白哉、 珍しいな。
私を訪ねてくるなど。」
「お久しぶりです。
貴女に緋真のことを聞きに来たのです。」
「・・・ほ・・。 毎晩のように会っているのだろう。
本人に聞けばよい。」
「聞きました。
だが、納得がいかぬゆえ来たのです。
貴女です。
未婚で赤子を産み、流魂街に暮らす苦しさから赤子を捨てた様な女を
貴女が雇うとは思えぬゆえ。
なによりどうしてもあの緋真が その様なものとは・・・・。」
「・・ふ・・・む。
緋真がそう申したのなら、それが全てじゃ。
わらわは 知らぬ。
調香師は腕が良いゆえ雇っておるだけじゃ。」
そう言って凄艶に微笑む。
「じゃが、白哉。
緋真がその様に申したというなら、今後はあの娘に関わる事は相成らん。」
再びあの冷たい瞳で 私を睨むように見据えてきた。
「私の行動への口出しは無用。」
私は 睨み返して 部屋を後にした。
会っても『母』と呼ぶことも出来ぬ。
・・・・会えば必ず 心が 気持ちが こんなにも冷える。
私は会った事を後悔した。
白哉兄様の母君。
大奥様は とても美しい人だったと思います。 <超妄想!
Apr.26.2008
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