窘  雨  




ーー  最初は ただ、驚いた ーー  


未明の暗い時間に家の玄関に何者かが入って来る気配がして恋次は目を覚ました。
 

この頃、所属する十一番隊では何人かで夜中や明け方に寝込みを襲ってボコる
という悪フザケが流行っていたのでむしろ返り討ちにする気十分、望むところと
わざと鍵をかけないでいた。
特に守るモノなどない野郎の一人暮らし。
鍵は面倒なだけで不要だったのでもともと玄関や窓に鍵をかける習慣もなかった。

だが、殺気等微塵も感じさせない相手に枕元の蛇尾丸も無反応だ。

今玄関に感じる霊圧は 俺のよく知っている 間違えようの無い魂魄。
こんな時間に こんな場所に絶対現れるはずのないルキアのモノ。 
だいたいアイツが俺の家など知っているはずなどなかった。
朽木の家に養子となってから 言葉らしい言葉をを交わす事はおろか会う事さえ
憚れるような存在。
すでに同じ死神になって30年以上経っていたが、まだ十一番隊の席官になれた
程度では四大貴族・朽木家の令嬢はまだまだ遠い存在で殆ど話も出来ずにいた。

ーー 大貴族令嬢のアイツがこんな時間にこんな場所に・・・?
   ありえないだろ?!  だが・・・この魂魄は間違え様がない!!

俺は 慌てて飛び起きて玄関に向かう。
寝室にしていた部屋の襖を引いた途端にその前でばったりと鉢合わせた。
本当に ルキアが一人で立っていた。 

ーー だが、様子がおかしい。

闇に浮かぶもともと色白な顔は 生気が全く感じられないほど青白く、いつも強い意思を
持って俺を見上げていた輝く瞳は 今は翳り、ぼんやりと焦点すら合っていない。 
何よりその格好は女が夜、外歩きをするような格好じゃねえ。
どう見ても寝巻き一枚のまま、夜半に激しく降った雨の泥濘を裸足で走って来たのだろう、
大きく跳ね上げた泥が飛び散り白い単が土色に染まり冷たく濡れていた。
そんな泥だらけのまま部屋の中に上がってきた事を咎める気も起きないほど、尋常では
ないルキアの様子に俺は名を呼ぶ事しか出来なかった。

「・?・・・ルキア・・・」

呼びかけに反応する事無く、表情を失くした幽鬼のようにゆらりと俺の存在など見えて
いないかのようにそのまま真直ぐ進んで胸に顔が当たって初めて俺の方を見上げた。
(俺の顔を確認した訳ではない!!  見上げた瞳はどこか遠くを見据えていた。)

「・・・・・・・」

何かを小声で呟いた・・・、その刹那! 一気にルキアの身体が崩れ落ちた。

床に倒れ伏すその前に慌てて掬い上げた身体は 真央霊術院で最後に触れた
記憶に残るルキア以上に、簡単に折れそうなほど細く心許無いほど軽かった。

ーー ちきしょ・・・、 朽木の家でいいモン食わせてもらってたんじゃねぇのかよ?!

抱き上げた あまりに冷え切ったルキアの身体に「死」を連想してしまった俺は
思わず呼吸を確認する。

「大丈夫、 気を失っているだけだ!」 

不安で軋む己の胸の痛みを抑えるように言葉として口に出して確認する。
今まで寝ていた布団に胡坐を組むと膝に乗せたルキアを急いで布団で包み温めた。

青白い顔色のルキアの細く静かな寝息を聞きながら、柔らかな髪を撫で付けていると、
倒れる前に呟いた言葉がもしかしたら・・・・「てつじぃ」だったのではないかと 
ふと思い当たる。

俺には分からないが、「親の死」というのは 愛情が深ければなおさら、頭で理屈で
理解しても感情的には受け入れにくいモノだと聞いた。 
俺は現世でも親との関係が希薄だったし、何より自分が親よりも先に死んじまったので
正直そういった気持ちはよく分からねえが、誰かが昔そんな風に話をしていたのを
ぼんやりと思い出した。

ルキアの養親の「眞尋」「てつじぃ」の死は 何年か前に人伝てに確認されていた。

死んだところを見た訳でも死体を見てもいないので現実感が持てないまま、ルキアが
ずっとガキの頃から、もしかしたら本当はどこかで2人は生きているかも知れない・・・
と心の奥底で願っていたのを俺は知っていた。

一人庇われて、生き残ってしまった罪悪感にまだ捉われているのだろうか?!
だが、何故今頃? 
それとも心の底で支えとしていた養親を頼らなきゃならねぇような事があったか・・・
などと逡巡していると、また人の気配がした。



今度は俺の前に一瞬で現れた。
ルキアの義兄・六番隊隊長 朽木白哉だった。  

(この人も他人ん家に草履のまま上がって来ちゃってるよ・・・・・・・。)

ルキアを膝の上に布団に包んで抱え込んでいる俺を 部屋の入り口に立ったまま、
霊圧を懸ける訳でもなく、あの冷めた眼差しでただ見下ろしてくる。

一瞬 そのいつも変わらねぇ感情を見せない顔の中に焦燥と安堵が見えたような気が
したが、俺はこんな時間にルキアがこんな状態で俺のところに来たという事に
まさか・・・ この朽木の当主がルキアに何か・・・そんな不信を感じてただ
睨み上げた。

「世話をかけた。
 そのまま屋敷に連れて来てはくれまいか?」
「何があったんスか? それを聞くまで、ルキアは誰にも渡さねぇ!!」

そんな落ち着いた言葉を吐いた当主に思わず声を荒げた。

変わらず冷静な瞳で俺を見返すと

「ーーーールキアが志波海燕を刺し殺した。」

そう言葉を残して瞬歩で消え去った。

俺は 驚きの余り朽木隊長の消えた闇をただ呆然としばらく見つめ続けた。

ーー ルキアが自隊の副隊長を刺し殺したと言った・・・・・。
   認めたくはないが、どう見てもルキアが唯一懐いて、慕っていた男。

   十三番隊・副隊長 志波海燕

   信じられねぇ・・・。
   ありえない話だ!  
   だが、反面。  それが本当なら、ルキアがこんな状態なのも納得がいく。



真相を確かめる為にも布団に包んだままのルキアを朽木の屋敷に連れて行った。
俺が抱き上げるルキアを煩く纏わりついて受け取ろうとする家令や侍女達を
幾度もやり過ごし、誰にも触れさせず、部屋を聞くと迷路の様な母屋の最奥
ルキアの部屋の用意されていた布団に寝かせた。
 
もちろんこんな状態のルキアを誰にも触れさせたくなかったってのもあったが、
騒ぎを起せば、当主のあの人が再び現れるだろうと思ったからだ。
俺はどうしても正確な仔細が知りたかった。
他隊の事はどうしたってきちんと伝わってこない。
『朽木ルキア』の話となれば、なおさらだ。
伝わってくるのは揶揄や嫉妬、羨望を含んだ下世話で碌でもない噂話だ。

広い部屋の真ん中の布団で眠るルキアの横に座って周りを見渡す。
俺にすら一目見て分かる豪奢な造りの柱や欄間、質の良い調度文机が置いてある
染み一つ 塵一つない広い部屋。
だが、冷やかかで −− そこにルキアが暮らしている ーー 
そんな個性や生活の匂い・人が暮らす温かみを一切感じさせない部屋。

ーー ・・・ 胸が軋み痛んだ。

はたはたーーとそれでも出来るだけ静かに廊下を走っているのだろう足音が響く。
開け放たれたままの障子の外の廊下で侍女が平伏して当主の言葉を告げた。

「阿散井様、どうか・・どうか! 
 当主の間へ私と同道を下さいませ、お願い致します!」

頑なにルキアを渡さなかった俺がその場からも離れないと思っていたのだろう
そんな言葉が必死に願うように告げられた。

長い廊下を幾重にも曲がった先の広い当主が待つ部屋に案内された。


そこで思っていたよりあっさりと朽木隊長から口外禁止の特例を含む事項だとして
十三番隊・副隊長志波海燕の話を聞く事ができた。

どう聞いてもルキアは為すべき事をした。
虚にのまれた志波海燕を刺し貫いた・・・本人の望みどおりに。
それだけの事。

だが、アイツが虚になってしまったとはいえ 仲間である同じ死神を殺したのは初めて
だっただろうって事は容易に想像がついた。
他隊の俺にも分かるほどアイツは実戦に出される事が少ない・・・どちらかというと
事務系の扱いを今まで受けていたからだ。

アイツがあんなに懐いて・・・ たぶんとても好きな相手を己の手で 斬魄刀で
刺し殺さざるをえなかったーーー

ーー  ぎりぎりと胸が絞まり苦しい
    アイツの受けた傷の深さを思い遣る
    自分の傷つく事より仲間の傷を嫌がるようなヤツだった・・・・

”受けた傷ー”

そんな生易しいモンじゃないないのかもしれない  
もしかしたらその時点でアイツの心は死・・・・ 
そんな馬鹿な考えに一瞬心臓が凍りつく

いや ルキアはそんな弱いヤツじゃない!

困惑し、黙り込んでしまった俺を部屋に残して、話すべき事は伝えたとばかりに
朽木隊長はさっさと退出してしまう。
相変わらずこの人も分からない、読めないーー
だが、初めて目にする普段着の”朽木白哉”の所為か、ルキアに起きた事態にどう
対処すべきかーールキアを想うーー逡巡が見えた気がして少しだけ安堵する。




侍従の爺さん、清家信恒に泊まっていくように強く勧められ、客間に通された。

落ち着かない他人の家ーー部屋に設えられた布団で寝る気にもなれず、開け放った
障子に寄りかかりぼんやりと庭を見て 広い屋敷の中の最奥の部屋で眠るルキアを思う

雨がまた降り始めたーー
闇の中を絹糸を垂らしたような細く静かに降る雨に音も魂魄の気配も消されてしまう

もう一度ルキアの顔が見たいと・・・ 
きちんと会って話をしたいと勧めに応じたが、眠れる訳もなく 
アイツが何故俺の部屋に現れたのか
俺に何を求めていたのか
意識を失う前に言った言葉はどんな意味があったのか
ルキア本人に聞かなきゃ分からねぇ事をぐだぐだと思い 
だったら俺はどうすればいいのか・・・ 
アイツの求めた先の己の行動をあれこれと思い描いてみる

今の俺にはルキアの求めに応じられるような力があるのか 
傍にいて護れる力があるのか拳を強く握って自問する

雨は変わらず静かに細く降り続いていた





  雨の言葉より  窘雨(きんう):  長雨に苦しむこと。「苦雨」と同意。「窘」は苦しむ

あとがき