窘  雨  2
*「黒い紐・赤い紐」とリンクしています。


まんじりともせず俺は 細い糸の様な雨を降らせ続ける空がゆっくりと白んで
よく整えられた庭が露わになっていくのを見るともなしに見ていた。

やがて人々が起きだして、生活が始まる気配が感じられた。

だが、しばらくすると穏やかに始まった気配がにわかに乱れ、慌しい動きがあった。
それが屋敷の奥ーールキアの部屋の方にあった事に気付くと矢も楯もたまらず、
その方向に足早に向かっていた。

ーー ルキアになにかあったのかーー

不安から走るように歩を進める俺の脚を長い廊下の先で朽木の蜘蛛が膝を折って止める。

「お客様、どうかおとどまりください。
 申し訳ありませんが、この先の奥の院へは主人の許可無く立ち入る事は
 出来ません。」
「うるせぇ!! 
 俺は昨夜一度入っているから構わねぇだろう!?
 この乱れた気配はなんだ?!  ルキアに何かあ」「さすがは阿散井殿。
 護廷隊・最強の十一番隊の席官は伊達じゃないという事ですか。
 こんな僅かな気配の乱れを察知されるとは以前よりも力を付けられたのですね。」

行く手を遮る様に傅いた蜘蛛に怒気荒く疑問をぶつける俺の言葉を遮ったのは
朽木を警備する蜘蛛を束ねる男・蜘蛛頭叢吾だったーー
蜘蛛の後ろの奥廊下から瞬歩で現れ、大岩のようにどっしりと俺の行く手を阻む。
言葉は丁寧だがにやにやと嘲笑する顔には『力の無い青二才がでしゃばるな』って
侮りがはっきりと見える。
昔はともかく今なら蜘蛛頭との力量は五分だと踏んだ俺はコイツラを倒して強引に
ルキアの元に行こうと睨みつけて隙を伺う。

「同郷を特別と思い、姫の周りを勝手にうろつかれては迷惑千万。
 短気と思慮の浅さを露呈して この朽木の屋敷内で騒ぎを起して姫にお立場を
 考慮されないというなら どうぞ、我等を倒して先に進まれるがよい。」

嫌悪感も露わに蜘蛛頭がにやりと意地の悪い笑みを浮かべて挑発してくる。
俺は唇を噛んで 拳を強く握り締めてとりあえず自分の感情を抑制する。

ーーちきしょ!   

とりあえず気持ちを切り替えて 瞳を閉じると意識を集中してルキアの魂魄の無事を
確認する。

思惑通りに挑発に乗らなかった俺を不愉快そうに眉根を寄せて睨んでから蜘蛛頭が
感情を一切含まないで言葉を続けた。
 
「『現在 ルキア様は主治医の診察中です。
 後ほど結果を必ずお知らせ致しますので申し訳ありませんが、暫し
 お待ち頂きたい。』
 以上、当家侍従長・清家信恒様の言上しかと伝えましたぞ。」

ーーコイツ、わざと伝言を後回しにして先に厭味な挑発しやがったーー

苛々とした怒りが沸き起こるが腕を組んでにわざと居丈高にやりと哂って応える。

「承知した。」

今度は蜘蛛頭が怒りを含んだ霊圧を纏い俺を睨んでくるーーさっきまでの余裕が
消えたことにコイツへの積年の敗北感が少し払拭される。



「ーーーお待たせしました、阿散井殿。」

場の雰囲気を相殺する穏やかさで清家の爺さんが奥の院と呼ばれた長い廊下の
先からゆったりとした威厳ある歩調で現れた。
蜘蛛も蜘蛛頭も廊下から庭先にさっと飛び退り道を空け、膝を付いて頭を下げる。
清家の爺さんがちらと庭先を一瞥して軽く指先を振ると蜘蛛達が姿を消した。
それから 神妙な・・・いや、申し訳なさそうな顔で爺さんが俺を見据えた。

「・・・一睡もされなかったご様子ですね。」
「いや、俺よりルキアはどうだったんスか?  診察を受けてたってーー」
「はい。  
 ルキア様がお目覚めになってすぐに主治医に診察させましたところ、お身体は
 少々お疲れのご様子でしたが、別段の変調はなく問題ございませんでした。
 意識もはっきりされており、少し沈んではいらっしゃいますが、いつもどおりの
 ご様子でしたので ルキア様から昨夜阿散井殿にご迷惑をお掛けした事をお礼
 申し上げて頂こうと思っていたのですが・・・・その。
 これを持ってどうぞこちらに・・・・お静かに願います。」

爺さんが言いよどんで懐から取り出して渡されたのは四角垂の形をした殺気石だった。

ーー俺の気配・霊力を消して何をさせるつもりか。

ゆっくりとした静かな足取りで奥の院へと進むが案内されたのはルキアの部屋ではなく、
もっと入り口に程近い部屋だった。

中庭が広く見渡せるような明るい温かみのあるの部屋ーー
部屋ごとに少しづつ色目が変えてあるのか。

微かに食事の匂いが鼻を衝く。
自分が持つ殺気石の所為で分かり難いがすぐ近くにルキアの魂魄を感じた気がして、
質問しようと ルキアのことを訊こうと口を開きかけたところで爺さんが振り返り、
口に指を当てて静かに黙ったまま座るようにと動作で示された。

部屋に用意された座布団に座ろうとしたところであの朽木隊長の声が隣の部屋から
漏れ聞こえた。

「ルキア、今日の隊務、休まぬのか?」
「ーーはい、義兄様。   
 大きな怪我もなく、体調も問題無いと主治医が申しておりました。
 体調に問題ない以上微力ですが、隊で自分の責務を全うする所存です。」

久しぶりに間近で聞くルキアの声に胸が熱くなる。
なんだ、心配していたよりも元気そうじゃねぇかーーー。
慎重に兄の問いに答えるルキアは凛とした決意すら感じられた。

「浮竹隊長のお加減が・・・心配です。
 それに・・・我が隊は 一晩のうちに・・・か・・・海燕ど・・ 
 いえ、 志波副隊長・・・・三席までも・・・失ったのです。
 隊はきっと混乱し、私の様な者でも人手が必要になります。」

昨夜の事件を思い出したのか・・・ たどたどしく志波副隊長の名を口にする声が
とても辛そうに痛々しく俺の耳に響く。

ーー 志波海燕 ルキアの隊の副隊長

認めたくはないがルキアがとても慕って 親しくしていた男

天才と噂され、高い霊力と元大貴族だったことを全く感じさせないほどの気さくさと
面倒見のよさで誰からも好かれ 人気があった十三番隊の副隊長

平隊士と違い通常なら滅多にヤラレル事のない副隊長が死んだのだ。
側に居たルキアに多くの隊士達が事情を聞いてくるのはわかりきった事だと 
名を言うだけで辛そうなアイツにそんな質問に答える余裕なんかないと思うのに
隊に行くという。

「ルキア、今回のこの志波海燕の件は副隊長という上位席官が虚に憑依された
 という特殊性から詳しく調査され、明らかになるまで極秘事項となる。
 また、隊士達に与える動揺の大きさを考慮してあくまでも虚による殉職だ。」
「はい、義兄様。」

ーー あぁ・・ そんな大義があれば、質問に答えなくて済む
   よかったな、ルキア。

「ところで昨夜のことだが・・・・ どこかに出掛けたか?」
「・・・・昨夜・・・・・?  いいえ・・・・・。
 ・・・ぐっすり寝てしまいました。」

ーー 寝てしまった!?  眠れた自分すら悪いことのように言うな、馬鹿!
   ふざけんなよ、てめーー

相変わらず”馬鹿野郎なアイツ”を怒鳴りつけてやろうーーーと勢い良く立ち上がった
だが、俺はそこでずっと疑問だったことへの答えを突然理解して木偶のように棒立ちに
なって考えに集中する。

”何故 爺さんは俺に殺気石を持たせてまでこんな会話を聞かせたか!?”

ルキアには昨夜 俺の家に来たーーだが ”ルキアには記憶が無い”。

確かに昨夜のルキアは生気のない幽鬼の様だった。
意識すらどこにあるのか・・ どうやって俺の家に辿り着けたのか・・・
そんなことを思うほどに。

俺の動向を黙って見ていた斜向かいに座る爺さんに目をやれば、ただ俺にゆっくり頷いて
見せた。

「義兄様・・・  昨夜何かあったのですか?」
「もうよい。  もう少し朝食に手をつけよ。
 料理長が心配する。」
「ーーはい。」

ーー アンタ、もうちょっと他に言い方はねぇのかよ!?

俺のそんな思考が顔に出たのか・・・ 爺さんが小さく苦笑していた。




清家の爺さんに促されて俺達はまた来た時同様静かにその部屋を退出した。


充分、ルキア達から離れた廊下で大きく息を吐いた。

「ルキアは昨夜の記憶が無いんスか?」
「はい。   主治医も詳しくは分からないと・・・。
 今回のことは精神的痛手が大きく その所為で夢遊病のように夜歩きを
 されたのではないかと・・・それゆえにご記憶が無いのではないかーー
 との診たてでした。
 見た目以上にルキア様は精神的にかなり不安定な状態という事です。
 当家ではその心中を慮って、これ以上の精神的負担をかけないように
 ご記憶のない昨夜のことをお知らせしてしない事にいたしました。
 ご迷惑をお掛けたした上に勝手を申し上げますが、ルキア様の無事なご様子を 
 隣室からですが、直接お声でお聞かせ申し上げる事が今回の事に関して
 当家が貴方様に出来る精一杯の返礼とお察しくださいませ。
 阿散井殿はルキア様から」「もういいぜ、爺さん。」

俺は爺さんの言葉を遮って 殺気石を返した。

「正直、俺はルキアにいろいろ聞いてみてぇし、ずっと話をしたいと思っていた。」

話すべきか 一瞬躊躇いを感じて 息を飲んで やっぱり話を続けた。

「アンタの事だ、たぶん知っているだろうけれどーー。
 俺はルキアと話をしたいがためだけに十三番隊で小さな騒ぎを起したことがある。
 非公式で個人的な些細なことだから問題視はされてはいないーー
 ルキアだけにしか分からない方法で呼び出した。」

清家の爺さんは穏やかに微笑んで簡潔な返事をした。

「はい、存じております。」

その時の記憶と共に苦いものが口の中に広がる。

「アイツはその時はっきりと俺に言ったーー
 『済まぬ、恋次。
  今は会えない、貴様に顔向けなどできぬ!
  誰かの負担になるような弱い自分ではいる内は会えぬと自らに誓ったのだ。
  私はきっともっと強くなって見せる!
  悪いがそれまで待って欲しい!
  強くなった自分と会って欲しい!!』と。

 今回アイツから俺のところに現れた事でその話せる時がきたと思った。
 けど、そうじゃなくって 記憶のない事だっていうのなら、仕方ねぇ。
 ルキアを混乱させたり、苦しめるのは俺の本意じゃねぇ。

 さっきアンタは迷惑をかけたと言ったが、俺はそんな風に思っちゃいねぇよ。
 昨夜、アイツは俺のところに”てつじぃ”を求めて来た。
 ルキアが”てつじぃ”を未だに心の支えとして頼っていて 俺にその身代わりを
 求めたんだとしても・・・・ 構わない。
 ルキアの気持ちが救われるならーーそれでいい。」

”てつじぃ”って言葉に一瞬だけ清家の爺さんは怪訝な顔をした。



朝食を用意してあるっていう爺さんの誘いを固辞して 変わらず降り続ける雨の中 
自分の家に戻った。

驚いたことに玄関の上がり框から布団のあった部屋まで泥だらけだった筈なのに
綺麗に掃除され、ルキアが昨夜来た痕跡は跡形も無かった。
唯一の夢ではない証 部屋の隅に不似合いなほど高級で真新しい布団が置かれていた。
ーーこんな下らねぇ事にも朽木家が大貴族だと実感させられる。







まるで銀糸を垂らしたように長く細く降る雨の庭をいつになくぼんやりと見つめる清家の
後ろに気配が起こり、蜘蛛頭叢吾が膝を折って控える。

「叢吾よ、不満か?」
「はい。
 過去にあの者にルキア様をお助け頂いた恩があるとは申せ、何故 あのように
 口の利き方も知らぬような下賎な者を朽木家に招じ入れ、かように特別な計いを
 されるのですか?」
「ふ・・・・
 以前に朽木の警備の蜘蛛を見事に出し抜き、尻尾さえ掴ませなかった男だと言えば、
 納得できるであろう。」

忌まわしい過去の失態を告げられた蜘蛛頭叢吾は顔を苦渋に歪めた後、その場から消えた。

「くっくくく・・・・・。 
 アヤツめ、十三番隊で騒ぎを起してルキア様を呼び出した事をついに認めおった。
 謀略・知略には無縁な男だと侮っておった・・・。」


統学院時代 あの男にはルキア様を護る才覚はないと判断した。
その時から、蜘蛛頭が言う様に清家自身も口の利き方も知らない粗暴なあの男は
これからのルキア様の傍には相応しくない 必要ない男だと結論付けていた。

清家の判断した通り、あの当時のあの男・自身には護る才覚はなかった
ーーそれは間違いないと確信をもって断言できる。
だが、助け手となる者を持つ才覚はあったようだ。
この朽木の蜘蛛の警備を出し抜き、調べきれないほど鮮やかな手腕を持つ助け手。
しかも口が堅く裏切ることのない信頼すべき助け手。
裏世界に懸賞金をかけたーーにも拘らず 碌な情報は集まらなかった。
戌吊の時と同じ。
あの男はしっかりした人脈を持つことの出来る 信頼に足る男なのだ。

ルキア様を朽木家のご養子に引き取った事は間違いなく必然だった。
けれど、引き取る際に「弱い」事は「負担」であると申し上げたことは間違いだった
のかもしれない。
ルキア様がこれほどその事に引け目を感じてしまうとは思いもしなかった。

あの男の口から語られたルキア様の言葉が清家を苛む。

頑なに自らの殻に閉じ篭り、精進して強くなる事にしか興味のないルキア様の事を
鑑みれば、もしかしたらあの男と「負担」を理由に離したのは間違いであったのかも
しれないと自問せずにはいられない。
志波海燕副隊長に出会い やっと少しづつ心開いてきたように思われていたのに
その志波海燕を自らの手で失うようなことになり、さらに心閉ざしーーもしかしたら
壊れかけている・・・・・。


ルキア様が未だに”てつじぃ”を頼りにしているとあの男は言った。

それなら・・・・ と清家は想定する。
あの男のところではなく自分のところにこそルキア様は現れるはずーーなのだ。 
ルキア様が過去に一度間違えた事があるほど ”てつじぃ”と自分の魂魄は似ている

ーー 同じ血族ゆえに。



ルキア様が何も意識されていない今、あの男に何一つ伝える義理はない。
大事なのはあくまでも朽木の家であり、ルキア様だけなのだ。

長く細く降る雨に らしくもなく惑い、逡巡した。
今更 考えても詮無いことを・・・・と瞳を閉じて、これからのことを考える。

朽木家・侍従長として処理しなければならない問題はまだまだ山積しているのだ。







あとがき