窘 雨 3
その朝 恋次が十一番隊・隊舎に行くと、昨夜の十三番隊の三席志波都率いる部隊と
副隊長・志波海燕が虚にヤラレタ話で隊士達が大騒ぎになっていた。
無理もないーー三席と副隊長が虚にヤラレルなんて滅多にない話だーー
俺達が入隊する随分昔に あったみてぇだが、この時の事だって噂だけで詳細は
謎のまま、真相は伏されたままだーー
どれだけ虚が強いのか どれほど卑怯な手を使う虚なのかと、腕っ節が自慢の十一番隊
だからこそ他隊の副隊長と三席まで殺してしまうような強い虚に興味があるのも当然だし、
そんなに強いなら俺こそが倒してやるって鼻息も荒い隊士まで出るのも当然だ。
こういうことはどんなに箝口令を布いたって人の口に戸は立てられない。
誰かが十三番隊からその事件のことを聞いてきたのか 志波副隊長と浮竹隊長と共に
朽木ルキアが一緒に現場にいた事や死亡した志波副隊長には刀傷があった事、その少し
前に彼の妻・三席志波都の部隊は全員が虚に食われていた事など、いい加減な話の中に
かなり正確な情報も入り混じっていた。
色々な憶測や情報ももちろん飛び交っていて中には現場を見ていたかの様に大袈裟な
身振り手振りで語る隊士までいた。
噂、憶測はどうしたって ”何故、実力ある三席、副隊長が揃ってやられたのか?”
ってことに集中していた。
妻を失った志波海燕副隊長が気持ちを乱した所為で虚に敗けたんだろうとか、虚が
次々と仲間の皮を被って襲い掛かり、最後は3席の志波都の皮を被って化けて
志波副隊長を殺したっていうーー ちょっと聞いた時にはなるほどって思えても
良く考えりゃ、あまりに現実味のない話もあってーー普通は霊圧でわかるって。
奥さんなら特にな。
それでもこれらはかなりまともな方の噂で。
やっぱりっていうか・・・ 予想通り ルキア(朽木の飼い猫)への中傷、妬み、嫉みを
含んで嫌な噂も多く出回っていた。
極力聞かないようにしていたのに ソイツが滔滔とデカイ声で話し始めた。
朽木ルキアが志波副隊長に横恋慕した挙句、邪魔な志波都・三席を罠に陥れて 他の隊士
ごと虚に食わせたのだと。そのことに気付いて激怒した志波副隊長を今度は浮竹隊長を
ルキアが甘言と色香で惑わせ騙して、殺させたと。
耳を疑うような話をしやがった。
思わず、ソイツの胸ぐらを掴み上げて殴りつけていた。
ーーアイツのどこをどう見たら”甘言と色香で惑わせる”って話になれるのか?!
あのチビにそんなモンがあるか!?っつーの!
らしくなく、突然キレて胸ぐらを掴んだ挙げ句、何も言わずに殴り飛ばした俺に
隊内は一瞬 静まり返った。
しかし、丁度良く現われた隊長の一喝で
「てめーら、クダラネェことくっちゃべってねぇでやることをやりやがれ!」
蜘蛛の子を散らしたようになる。
俺が殴ったソイツも怯えたような怪訝な顔で逃げて行った。
俺はこれ以上無駄に嫌な噂を聞かされずに済む様に隊長と共に現われた草鹿副隊長に
書類仕事を回してくれるように頼み込んで執務室に籠もって事務仕事に没頭した。
ルキアとのことを知っている一角さん達は珍しく事務仕事なんかをしたがる俺に
何か感じ取ってくれたみてぇで、「物好きだねぇ。」「好きな様にしろ。」と
その日の俺の仕事”地区警備”を代わってくれた。
ーーその代わり一角さん達の分の事務仕事をやらせて貰った。
仕事に集中していた俺が 腹が減ったと気付いた時には、夜廻りのヤツラも隊舎に
いねぇえような刻限になっていた。
机の上の書類を片付けて、隊舎を出ると夜半を過ぎたというのに昨日から降り続いて
いる雨がまだだらだらと降り続いていた。
明け方までやっている近くの飲み屋で軽い食事を済ませた頃、やっと鬱陶しく降り
続いていた雨がようやく止みかける気配をみせる。
降り止むのを待ってから帰ろうかとも思ったが、濡れて困るような雨じゃなし、
昨夜は寝ていないのだから・・・と 濡れたまま家路についた。
ほどなくして思ったとおり雨がぴたりと降り止んだ。
夜が明け始めるまでまだ間がある真っ暗な闇ーー今まで雨に遮断され閉ざされていた
空間が虫も鳴かねぇ独特の静けさと共にしんと広がっていったーー
と、白い人影が虚ろに近づいて来ていた・・・・
まさかまた・・・という思いと まだ・・・ って思いが交差する。
仕事を終えてしまうと気が抜けて ルキアは朽木の自室でぐったりと文机に肘を
ついて身体を預けた。
身体も気持ちもとても疲れていて眠りたいのに ささくれ尖った神経が透き通った
氷のように混濁とした眠りに堕ちることを許してくれそうになかった。
明かり取りの小窓を少し開いて中庭を覗けば、長く細く雨がまだ降り続いていた。
濡れる事が恐いーー
濡れた手ーー 濡れた死覇装が 私に赤い色を見せる
そんな筈はないとわかっているのに 私の目には鮮やかな赤に映り
同時に 掌に 腕に 昨夜の感触を生々しく甦らせてみせるーー
斬魄刀が海燕殿の死覇装を破り 皮膚を割いて
柔らかな内臓を刺し貫いて ざりっと音を立てて骨を削り また死覇装を突き破る
ゆっくりと温かな液体が 斬魄刀から手を伝い 腕から胸までしとどに流れて
雨に濡れた冷たい私の身体に彼の人の命の熱さを知らしめる
あの感覚がゆっくりと再生されるーー
一瞬の出来事だったはずなのにーーどうしてこんなにも鮮明にーー
耳元で海燕殿が仰ってくださった言葉さえ
今はもう本当に言われたことなのか
それとも 私が勝手に夢見たことなのか ーー 自信が無い
隊内で質問攻めに合っていた私を浮竹隊長からの話で事情を詳しく知った小椿殿や
虎鉄殿が 庇い 慰めて下さった。
そんな彼らの優しさすらとても辛い
彼らは知らないのだーー私の中にあった 狡く醜い感情を
一人助かるために逃げたーー卑怯さ・狡さが恐くて海燕殿と浮竹隊長の元に戻り
醜い虚の姿で苦しんでいる海燕殿を見ている事が辛くて 恐くて
斬魄刀を差し出せば、迫りくる海燕殿の身体を差し貫ぬくと分かっていてそうした
そう、あの時の私は ”確信”していた。
分かっていて刀を引かなかったのだ。
全て自分が恐かったからだーー 全ては ”自分のため”
海燕殿のことを考えて斬魄刀を差し出した訳では無い。
今でさえ 『海燕殿を殺した自分』を忘れてはならないのにーー忘れたがっている
濡れて刺し貫いた感覚が甦る事が恐くて 恐くて
海燕を刺し貫いてしまった自分が恐ろしくて
ーー忘れたがっているーー
海燕殿 海燕殿 海燕殿 海燕殿 海燕殿 海燕殿
海燕との 海燕と・・の かいえ・ん・・との か・・いえ・ん・・との
今こそ貴方に会っていただきたい
助言を 言葉をーー 声を聞くだけでもーーー
もう・・逢えないーーー 逢えない事を嘆き悲しむ 泣く資格すら・・私にはない!
私が刺し貫いて殺したのだーー 自らの意志で・・・
てつじぃ・眞尋ーー
私はどうすればいい・・・?
心が苦しくて苦しくて苦しくてーー どうすればーー 何をすればいい?
誰か私を責めて、罰して!!
いっそーー
こんな助けを求めるなんて ーー 何を甘えているのだろう
ーーー会いたい
ーーーこんな時だけ 会いたいと願うのか
私はどこまで狡くて醜いのだろう
昨夜と同じ青白い生気のない貌で泥を飛び跳ねさせた白い単で幽鬼のようにゆらりと
ルキアが裸足で近寄ってくる。
表情も虚ろで瞳は俺なんか見ちゃいないくせにまっすぐに俺を目指してくるーー
”俺が進路をあけたならコイツはどうなるのだろう?”
そんな確かめたい衝動が一瞬胸のうちを掠める。
だが、俺にそんなことができる訳もなく、なす術のないただの木偶みてぇに立って
ルキアの心許無い動きを見守るしかできない。 ーー ちきしょう!!
だが、今日は昨日のようにぶつかってくるのではなく、俺の傍に来ると細い腕が
伸ばされて胸元に手を添えらてからゆっくりと頬を寄せてきた。
「・・・・・・・」
胸元で小さく囁いたルキアの声が痛々しくて堪らずに薄い肩を抱き締めるとゆっくり虚ろな
瞳が閉じられて ルキアの華奢な身体が腕の中に崩れるようにしな垂れ落ちてきた。
昨日と全く同じ・・・意識を失っていた。
違うのは場所と囁かれた名前 ”まひろ”ともう一人の養親の名を呼んでいた。
無言で小さな身体を抱き上げる。
すぐにーーずっとルキアを警護していたのだろう、蜘蛛頭が目の前に現れた。
まるで”敵(かたき)”の様に俺を鋭く睨んでーー
「阿散井殿、お手数をお掛けして申し訳ありません。
我等”朽木家”の者に ”朽木の姫”をお返しください。」
厳しい顔つきに似合わない丁寧な言葉で”朽木”を強調して要求してくる。
だが、最初(はな)から俺がルキアを渡さないってのはヤツの中でも確定済みらしい。
(正しい判断だ!)
”返せ”という言葉とは裏腹に受け取ろうとする腕さえなく、霊圧をびんびんに上げて
その態度はかなり威圧的で好戦的に挑発してくる。
こっちもこの男が俺から ”ルキアを力付く”で奪えないのは先刻承知だーー
”力任せ”に取り戻そうとして 万に一つもルキアに傷つける事などコイツ(朽木の蜘蛛)
には絶対に許されない。
そして もう一つはっきりしていることがある。
何を考えているか分からないが、あの清家の爺さんはこんな状態のルキアを”拘束”
する気はないらしいってこと。
コイツ等にだってこんな虚ろな状態のルキアなら 俺に辿り着く前に簡単に捕らえて、
強引に連れ戻すことが出来たはずなのにただ警護に張り付かせていた。
こんな”外聞の悪い、安全性を無視したらしくない事”をする爺さんに俺はそんなに
ルキアは ”酷い状態”なのか? と確認せずにはいられない。
「俺が直接朽木の家に戻す。」
短く言ってにやりと嫌な哂いを返してから 瞬歩で朽木の屋敷に向かった。
どうすることもできない蜘蛛頭はただ威圧的な霊圧のまま後を追って来て 屋敷の門前で
忽然と消えた。
朽木の門には清家の爺さんがルキアを迎えるために立って待っていた。
爺さんは礼を言うとそのまま先導して屋敷の奥に歩いていく。
お陰で昨日よりはすんなりルキアを部屋に運ぶことができた。
広いルキアの寝室で傍に座ってルキアの寝顔をかなり久しぶりゆっくり見た。
顔色は相変わらず悪く青白いが 横たわる寝顔の穏やかさに少し安心する。
同じ様に反対側で清家の爺さんもルキアの寝顔を見入っていた。
だが、その表情の険しさ、厳しさに 何の前置きもなくおもむろにずっと
聞きたかった質問をぶつける。
「こんな状態のーーこんな格好のルキアを好きに彷徨させてるってこたぁ
もしかして 相当ルキアの状態は酷いってことっすか!?」
「ーーーーー
貴方ならわかってらっしゃるでしょう?
ルキア様のご気性をーーーー。」
「ーーーーー」
そう切り替えされて言葉に詰まる。
「それに少々確認しておきたい事もあったのですよ。」
こっちが鼻白むほど穏やかに微笑んでそんな答えが返っていた。
だが、”何を確認したかったのか”ーーそう問いたい俺を分かっているくせに
その質問に応える気は無いらしくそのままルキアにゆっくりと視線を戻して
爺さんは静かに話しを始めた。
「ルキア様は今日一日いろんな方から昨夜の事をいろいろ質問されたようにです。
けれど、何と言われようと罵倒され、胸倉を掴まれる様な無礼にあっても
何も話されなかったようです。」
『・・・・・ルキア、今回のこの志波海燕の件は副隊長という上位死神が虚に
憑依されたという特殊性から調査され、明らかになるまで極秘事項ーー』
ーー朽木隊長の言葉を守って黙秘したーーどこまでも無器用なルキアが
目に浮かぶ。
適当なところだけを話すとか、極秘事項だから口止めされているとか
そんな言い訳さえしない・・・・・馬鹿だ。
そして隊長の言葉には二重の意味があったことにやっと気付く。
思い出すのも辛い話をしなくても済むが、どんな風聞に対しても弁解の余地もない
ってことだ。
中にはきっと無遠慮に何故助けなかったかと無責任にルキアを責めてくるヤツ
だっていたかもしれない。
まだ昨夜の今日で気持ちの整理も決着もついているとも思えないーー
コイツは馬鹿だから またさんざん自分で自分を追い詰めるように責めただろう
既にさんざん自分で自分を責めて傷ついてーーそんな状態のまま仕事に行った
あぁ・・そうだ・・・・
最初っからコイツは自己弁護する気なんか毛頭無かったのだーーそういうヤツだ。
きっと責められるために仕事に出たのだと思い至る。
ソレが自分の義務だと課したコイツの馬鹿正直すぎるほどの真面目さが 責任感が
痛々しいほど無器用な生き方しか出来ないルキアに腹が立つ。
自分が傷ついている時くらい甘やかしてやれと殴りつけてでも休ませるべきだった。
「爺さん、明日からコイツを休ませてやってくれ。
アンタなら、出来るだろう?
ルキアがなんと言ったって アンタなら上手く言ってルキアを休ませる事が
できるだろう、頼む!!」
「阿散井殿・・・・ 本気で仰っておられるのか?」
頭を下げた俺を呆れたように厳しい貌を向けてくる。
「ーーー?
あんただって・・・気付いて・・・・ 分かってるだろ!?
ルキアの無器用な性格を!
このまんまじゃコイツは傷つけれらるばっかりでーーー」
「無論です。
だからといって仕事を休ませたら、どうなるかーー容易に想像できませんかな?
仕事を取り上げてしまったら、今度はご自身で今以上にもっと責められる
のではないですかな。
言葉は悪いですが、今は仕事が気休めに 気の紛れになっていると思いますよ。」
あっと己の短絡思考を悔やんで俯く。
「ーーーー
実はルキア様の件で一つ貴方にお願いがあるのですが。」
「!?
俺に出来る事ならなんでもーーー」
「仕事を休んで 当屋敷に一週間ほど逗留して頂きたい。」
「はぁっ?!
な・・・・なに・・・・・ ど、どういうことっスか・?」
「実は 十三番隊の更木隊長にはもう許可はとってあります。
とりあえずは明日一日休んで頂ければ、結構です。
先日お泊り頂いた部屋に今晩と明日とこのままご逗留下さい。
よろしいですな?」
こうして完全な周到さと有無を言わせぬ威圧感で爺さんは俺を屋敷に留めた。
俺は一見好々爺然としているこの侍従長が、朽木家のためなら平気で非情の決断も
下すことのできる冷徹さを持ち合わせている事は知っている。
だが、大人しく爺さんに従う気になったのは恐れたからじゃなく、ルキアの寝顔を
見つめていた丸い眼鏡の奥の瞳にルキアを本気で心配する憂いを見たからだ。
落ち着かない他人の家ーー部屋に設えられた布団に今日は身体を横たえた。
目を瞑って広い屋敷の最奥に眠るルキアを思うーー雨が止んでいるのでその魂魄が
見つけ易い
穏やかに静かに安定した魂魄の様子に安心する
寝てる時くらい心安らかであるようにーーあまり自分を責めるな、馬鹿野郎
単純に昨夜も寝てないからなのか
爺さんが本気でルキアを想う態に安堵したからなのか
眠りに落ちるのにそう時間もかからなかった。
あとがき