窘  雨 5 





長身のさらに高い位置で結い上げられた長い赤い髪はとても目を惹く
身体や首だけでなく鋭い眼差しを際立たせるように眉や額にまで施された刺青

流魂街78地区戌吊で暮らした粗野なままの振る舞いと乱暴な言葉遣い
いかにも十三隊最強を謳う11番隊所属だといわんばかりの威圧的な態度
ーーそれらは己の”力”に自信を持っているからこその自己顕示なのだろう

朽木の名にも この朽木白哉にも敬意を払わず、畏れもせずにーー
いつも挑戦的に瞳をまっすぐに向けてくるルキアの幼馴染の男



そんな視線は白哉にとって別にとりたてて特別なことではなかった。
挑戦的で、敵意や殺意を含んだ視線を向けられることーーそれは白哉にとってはごく日常的な事。
隊長である朽木白哉と勝負して実力を量りたいと、倒して名を上げたいと思う死神の数は星の数ほど
いたし、四大貴族の”朽木家”に妬みや嫉み、または逆恨みから殺意を持つ貴族もこの尸魂界には
数多くいた。

しかし、実際に”朽木白哉”を倒せる可能性のある者などこの尸魂界に数えられるほどしかいない。
だから あの男も塵ほどにも気に留める必要のないそんな烏合の衆の中の一人として然るべき
存在でしかなかった。

あの異様な容姿やルキアのことがあるからなのか 自分に向けられる視線の強さの所為なのか
ーーわざわざ ”阿散井恋次” と名前を記憶してーー会えば、その霊力を感知して確かめずには
いられなかった。

隊での鍛錬のほかに誰かの指導を受けているのだろう・・・ 
まだまだはるかに及ばぬが遇うごとに高みを目指して努力をしている様が見てとれた。
見かけの派手さを誇示するだけの下らぬ輩ではないらしい。

そして何度か関わる内に気付かされた。
挑戦的視線の中に違う意味の目線がある事を。
阿散井恋次は この”朽木白哉”をまっすぐに見据えて 後ろに”ルキア”を見ているのだ。

そう気付いた私の心中を見透かしたように清家信恒が言った。

「あの方はルキア様の幸せを想い願っているのです。」






ルキアの幸せを想い願っているーー

それは亡き妻・緋真の残した想いであり、白哉の想いでもあった







毅然とした祖父のように隊長として 当主として幼い頃よりこの朽木の家名を背負ってたつこと
最善の道を往くことになんの迷いも戸惑いもなかった。
掟を遵守して必然を為すことなどーー何も難しいことではなかった。

だが、緋真に出会って初めて 為すべき事と自分の想い・望みが相反するものとなった。

どうすれば良いのか 何が最善なのかーー生まれて初めて答えに迷った。

緋真を朽木家に妻として迎え入れるべきではないと理屈ではそう判断していた。
家のためにも なにより緋真のためにーー緋真には苦労をかけることになるーー 
当主の妻となれば、精神的にも肉体的にもかかる重圧に辛いことが分かっていた。

だが、緋真を他の者に渡すことも託すことも 中途半端に傍に置いておくことも白哉にはできなかった。
ーーそれは己の気持ちがどうしても赦さず、最後まで少しも揺らぐ事がなかった。
緋真も最初は妻になることを強く拒んでいたのだが、白哉の意思の強さに折れて妻となることを
承知してくれた。
この時の緋真にどれほど朽木という家の重圧の大きさを理解していたのかはわからない。
白哉も敢えて触れなかったーー朽木の家の掟を破ってまで妻にしたーー
そんな身勝手な想いを埋め合わせるように朽木の家に尽くし職務を全うして 緋真を持てる力の
全てで労わり守り愛した。

その労りが緋真の望みとは相反する、時として邪魔をすることさえあった。
そう承知していてもそうせずにはいられなかった。
緋真の望みーー『妹』を戌吊で探す事。
ただでさえ弱い緋真の身体の体力を著しく落としていたので心配した白哉が一人探しに行くことを
禁じることがしばしばあった。
けれどもそれは 緋真にそんな風に大事にされている自分と過酷な地に手放してしまった幼い妹への
苦労を偲んで、悲しみと後悔をより深くさせて苦しめることになっていた。
また共に喪失している『妹・瑠璃奈を託した斬魄刀』が緋真の命と霊力を日々削いでいた。

それでも目の前で体調を崩し 緋真の青白い顔色を見ることの方が辛くて屋敷に押し留めて代わりに
蜘蛛を戌吊に動員させた。
だが、いつまでも半分に欠けたままの緋真の斬魄刀の霊力・命の喪失の速さは白哉の予想をはるかに
超えて だんだんと削ぐ量が増えていった。
どんなに深く愛し、己の霊力の譲渡をしても埋めきれなくなっていった。
最期はさらさらと止まることなく滑らかに流れ落ちる砂時計の砂のように失われていくゆく緋真の霊力を
為す術もなく魂魄が形を保てなくなっていくのを歯噛みしながら傍で見守ることしか出来なかった。 
生まれて初めて自分の無力を強く思い知らされた。







知らず、細く漏れた溜息にーー 幸せだった記憶から優しい声が蘇る

「白哉様、如何されたのですか?」

己さえ気付かないような小さな溜め息を亡き妻の緋真だけは聞き逃さなかった。
向けられた穏やかな微笑を壊すのは自分の役目ではない・・・と
「なんでもない。」ーーーなどと言おうものなら逆効果。
たちまちにそれは酷い言葉を投げつけられたような辛そうな顔に変わり、「白哉様・・・」
ととても悲しげに名前を呼ばれたーー
ただそれだけのこと・・・・。

気がつけば 緋真の傍に座らされ、膝に置いた手に緋真が手を添える頃にはらしく
ないほどぼそぼそと仔細を話していた。

死神という仕事の性質上 随分と悲惨な話もしたのに 緋真は神妙な顔で小さく相槌を
打って話を聞いて受け止めてくれた。
話しながら白哉自身の中で気持ちや思考の整理がついて、話の途中なのに無言で席を
立って対処に向かうことも少なくはなかった。
それでも緋真は優しく温かい微笑んで自分を送り出してくれた。
今更話をしてもどうしようもない、解決しようのない終ってしまった事にイライラとわだかまり
持て余していた白哉の気持ちさえ緋真は掬い上げてきちんと受け止めて代弁してくれた。
誰よりも白哉自身よりも気持ちを理解し、受け止めてくれたのは緋真だっだ。

白哉には死神として仕事も朽木家の当主としての責務も多かった。
果たして自分は緋真にどれだけの事をしてやれていたのだろうか・・・・
何度自問しても何一つ満足なことを出来てはいないと思うのに緋真は「幸せだった」と
言葉を残してくれた。
緋真こそが細かい心配りで自分のためにいろいろとしてくれていた・・・ 
ーーそんなことさえ白哉は失って初めて気付かされるという情けなさでーー
そのことで余計に愛しさが募り、悲しみをより深くした。

ただ傍に居てくれるだけでよかったのだ・・・・ 緋真




だからこそ、緋真の心残りとして 自分に託された妹・ルキアが見つかれば、大事にしようと 
緋真の望んだとおりに妹として緋真の分まで慈しむと決めていた筈だった。

白哉はルキアのあまりに緋真に似た容姿に戸惑い 己が感情を翻弄されてそんな気持ちを
いつしか見失ってしまった
ーー緋真への深い愛ゆえに その死の与えた果て無き悲しみゆえにーー

緋真がずっと心砕いていた
ーー死の一年後にやっと見つけた妹・ルキア
驚くほど緋真に酷似したその容姿に 違い過ぎるその性格に 白哉はどれほど戸惑い、
どれほど愛しいと思い、どんなに憎いと思ったことだろうーー
そんな矛盾する感情を持て余してルキアの接し方を誤ってしまった
どちらの感情もルキアに悟られることを恐れ、殊更に表情を殺して硬く接するうちにルキアは
白哉に家族の情愛を求める事を諦め、心を閉ざしてしまった。

何度、自分から発せられた言葉に悲しそうな表情を浮かべるルキアを見たことだろう
どれほど まっすぐに自分を見つめる瞳が辛くて背を向けてしまったことだろう
何度、寂しそうな様子のルキアに触れて 抱きしめたいと思ったことだろう
それなのになにもしてやらないまま できないままになってしまった。
”朽木の家で暮らす上では当主である私とは疎遠であるほうがあの娘のためなのだ” と
終いには己をそう納得させて何もしなかった。

だが、目が離せないーーアレは緋真ではないーー緋真とは違う
まざまざと違いを見せ付けられることも、時折見せる類似、共通するところもどちらも確かめずには
いられないのだーーその違いが憎くて辛くて愛しい・・・・。

養子に迎えて着るものも食べるものも住む場所も最高のものを誂えた。
だが、あの娘はそのどれに対しても感謝の意は示すものの戸惑うばかりで白哉が思うほどに
喜びはしなかった。
清家はルキア様はこういったことに慣れていないからだと言ったがそうではないのだ。
貧困に喘ぎ、美しい事弱い事何かを持っている事が危険と同意語であった戌吊で暮らした所為も
あるのかもしれない。
だが、アレは基本的に己の容姿に頓着せず、着飾ることや物に執着しない者なのだ
ーー亡き緋真のようにーー
高価なものも野の花でも込められた想いを受け止めて喜んだ緋真のように

遺言通り、妹としてーー
緋真の分まで愛して幸せにしてやりたいのに・・・・

白哉にはその方法が分からなかった。
互いのことが理解できた、傍にいるだけで幸せだった緋真とは違うーー

いっそ物で満たされるような俗な娘であれば・・・・
抱えきれないほどの物で満たして適当な男と娶わせて幸せしてやれた筈だと思う。
白哉がルキアに対して緋真とは違う愛しさを感じて、どうしてやることもできない無力感にこれほど
想い悩むこともなかっただろう。

幸せにしてやりたいのに 自分には地位も力も財力もあるのに・・・
白哉の力の及ばないものばかりをあの姉妹は望むーー

ルキアは緋真のような芯の強さも心を和ませる温かみも持っていなかった。 
赤子より本当の家族の中で暮らしていないからなのか 内面の寂しさを隠して強さを装い、
自分からは何も求めたりしないーー
誰かを頼りとしたり、守られる事を良しとしない強さがあの娘の守るべき矜持であり、その守るもの
の少なさが強さだった。
その凛とした気高さとともに 己が多く持たないが故に他の者の良さを認め、素直に褒めることの
出来る器量が他を魅了する。
周りを気遣い、遠慮して自身を抑制するばかりで素直になれずに自分の本当に欲しいものを知らず、
知ろうともしない。
ただ、力を欲して死神になり、強くありたいと望んでいる。
そう己さえも欺いて 欲しがる事さえしない
何よりも愛情を欲しているのに自身の中の熱い情の在り処も知らず諦めることしか知らないーー
本当に不器用な娘

緋真はこの娘の不器用さ・弱さを知っていたのかもしれない
だからこそ緋真はあんなに気にかけ、手元に引き取りたかったのだーー
そんな愚かな事を考えてしまうほどーー
凛とした見かけとは裏腹に不器用で庇護者が 家族の情愛が必要な娘
そんなルキアに対して白哉には緋真のことを語らずにルキアが欲してる家族の情愛の示し方も
かける言葉も持っていなかったーー全ては緋真から受けたものばかりだ。

ルキアはいつしか自分ではなく浮竹、志波海燕を慕い頼るようになっていた。
白哉もそれでいいとーー己の中に小さなわだかまりはあるものの戸惑い傷つけることしかできない
自分よりはそのほうがいいと思っていた。

だが、こんな時こそルキアの傍で励ます役割を負った志波海燕をルキアが殺してしまった。
一番必要な時に肝心の志波海燕を失い、浮竹も体調を崩してしまった。


如何なる理由があろうとも自分が殺した”死”を乗り越えられぬ”死神”では
今後 ”死”を通告し続ける仕事などできぬ。
”虚”と戦うことは尚更出来ない。

自身の弱さから強さを求めるばかりで・・・ その先の根底にあるものを見据えていないから 
ルキアは志波海燕の死にあれほど困惑し、混乱しているのだーー

自分にはルキアのことがこれほどに見えるのに・・・
あの娘には私が見えないーー

白哉を畏怖して萎縮して決して求めない
泣きもせず、気丈に振舞い凛とした姿勢を崩さない
一人耐えて気遣うことすら赦さない

ーーそれが その矜持の高さが今のルキアの支えている
たとえ、日を追う毎に顔色が悪くなり、目に見えて霊力の低下していたとしても
気付かないフリをするしかないのだ

たとえどんなに言葉を尽くしても白哉の声がルキアに届くことはないだろう
心閉ざしている今のルキアに



ルキアが辛い現実と己の矜持の狭間で均衡を自身で保つことができなくて 夢の中を彷徨い 
毎夜ふらふらと現実を漂って 辿り着いた先があの幼馴染の男だという

戌吊でルキアと暮らし、朽木家を含め 全てのものからルキアを守り隠し通した男
協力者がいたとはいえ、この朽木家さえも欺き、隠し通した手腕は見事ーー
だが、緋真のことを思えば赦し難い男

最初はあの男さえ白哉にとっては憎しみの対象だったーー

だが、あの男は何の見返りも求めずにルキアへの想いだけで助け手として現れた
これでは白哉も認めない訳にはいかなかったーー

戌吊で あの男はあの男の最善を尽くしていたのだーー為すべき事を為していたのだーー
あの男にとって大事なものを守り通したのだ。

『俺にとってルキアはたった一つの大事なもので たった一人残ったかけがえのない家族なんですよ。
 だからどうしても護りたいものなんだよ、爺さん。
 はっ・・・、これは俺が生きている限り変わることはないっすね、きっと。』

以前に清家信恒にそう言ったのだと聞いた。


ルキアの幸せを想い願っているーー

その想いゆえにーー

一任した





あとがき