窘  雨  6 





この屋敷を出たら
ルキアに触れることはもちろん話すことも間近に見ることも叶わなくなる

なによりあんな姿のルキアが見納めになるのか
俺にあんな状態のルキアを見捨てろというのか
もうどうすることもできないのだろうか


夕方から また雨が降り出していた

アイツは雨を恐がっていると 雨に濡れる事で志波海燕を刺した記憶が蘇るのを恐れていると聞いた。
雨がこのまま止まなければ、今夜俺の前に現れないかもしれないーーじりじりとした焦りが胸を焼く

いっそこの屋敷から 尸魂界から隠れ慣れた戌吊へルキアを連れ出してしまおうかーー

朽木隊長は 俺たちを逃がしてくれないだろう
きっと屋敷からルキアを連れ出すことさえ赦してはくれないだろう
万が一 どこかに逃げおおせたとしても あんな状態のルキアに今以上の生活環境を与えることは
俺には出来やしないってのもわかっている。

あの日、ルキアの手を離してから誰よりも鍛錬して力を付けたというのにーー 
それでもまだ俺はこんなにも無力だ!!
拳を強く握り、歯噛みする。


どうすればいいーー?!
どうして欲しいんだ、ルキア?
まだ現れるな、ルキア!
いや、今夜も現れるという保障はどこにもない・・・
現れてくれ、ルキア・・・ 
俺は何もできないまま お前まで失いたくない
いや、お前に ”自身”を失って欲しくない!

ーー俺を忘れてもいいから

ルキア・・ ルキア・・・ ルキア・・・・



開け放した障子に立ったまま寄りかかり、そぼ降る雨の庭を睨んで俺は雨の向こうで
雨音に怯えているだろうルキアを想う。

ーーだが、ぐだぐだ考えるなんてぇのは俺の性に合わねぇ!!
  どうせ考えたって俺は俺のやり方しか出来ねぇ!
  今の俺に出来ることしかアイツにしてやれやしねぇんだからーー


蛇尾丸を手に広い庭へ降り立つと 手当たり次第に雨を刀で斬り払った
アイツを怯えさせる雨
雨の所為で俺のところに現れることのできないというなら 
俺が全て薙いでやるよ、ルキア
だから来いよーー 
俺が待ちきれなくなってしまう前に
赦された時間の猶予の少なさに焦れて お前の元に行きたくなる前にーー
俺の行く手を阻む者 全てをこの剣で薙いでしまう前に・・・・

ここにいるーー
俺はここだ、ルキア
主張するように少しずつ霊圧を上げたーー





長い廊下を死覇装を着たままのルキアがゆらりと現れたーー
相変わらず青白い生気のない相貌で焦点のあわない綺麗なだけの人形みたいな瞳で
俺を認識しているのかわからないが、俺のいる庭の方を向いている。
今までみたいに俺の方に来ようとして廊下の一段下の濡れ縁に片足を下ろそうとして
未だ降り続く雨に打たれたのだろうーーびくりと大きく揺らいでまたもとの廊下に立ち尽くした。
 
俺は剣を鞘に収めると いつの間にか髪紐もほどけて顔にかかっていた長い髪をかきあげて
ルキアにゆっくりと近づいていった。
長い間 雨に晒された髪も死覇装も俺の動きを封じる重い枷のように濡れていた。
 
「ルキア」

現れてくれただけでも嬉しくて名を呼んだ。
今日は俺の声が届いたのかーー
まるで信じられないものを見たように大きな瞳がいつも以上に見開かれてまっすぐにルキアが
俺を見つめる。
はっきりとルキアの視線が俺を認め、俺がアイツの視線がきちんと合ったと解かった

その瞬間!  ルキアが弾かれたように走り寄ってきて俺の袷を掴んだ。

「何があった?  大丈夫か?
 どこを怪我したのだ、見せてみろ?!
 今すぐ鬼道でーー 
 早く屈め、馬鹿者!
 こんな全身血塗られるほどやられるとはーー」

矢継ぎ早に言葉を放って驚くほど強い力で袷を引いて いきなりな展開に何を言われているのか
理解できずにいる俺を屈ませて 解かれた髪をルキアが両手で乱暴に掻き払っていた。
その声の真剣さに 必死さに ルキアが人形から蘇えったと俺に教えてくれた。

「よぉ、馬鹿ルキア
 てめぇ、何していやがる?!」

小さな両手を掴んで屈んだまま まっすぐにルキアの視線を捉えた。
何かに怯えて動揺している らしくないほど揺れている大きな瞳が俺を見返していた。

「落ち着けって。
 俺は怪我なんてしちゃぁいねぇって。
 髪が赤いのはもともとだろうが、馬鹿野郎!」

濡れて重くなっていた髪を纏めて強く握って 滴る雨水をわざとルキアの手の平に落とした。
夜目に浮かぶ白く小さな掌の上で音をたてて落ちた雨水が透明な水溜りを作った。

「 ・・・あ・・・ぁ・・・・あ・・・」

怯えた様に声を震わせて 手を引こうとしたルキアの手を許さずに強く掴んだまま さらに髪を絞って
掌に落として見せた。

「よく見ろ、ルキア。」

髪から滴る水から逃れようと引く手の力がゆっくりと緩んでいった。


「 −−−・・恋次・・・・」

戸惑う顔で掌を見つめていた瞳が俺を見上げて くしゃりと泣き笑うような顔をしてルキアが
やっと俺の名前を呼んだ。


「・・・恋次・・・・どうして そんなに濡れねばならなかったのだ?」
「はっ、 なに、馬鹿を言ってる、ルキア?!
 話が逆だろ。
 雨が降ってる時に外で鍛錬していたから濡れた、それだけだって。」

恋次の言っていることは至極当然のことだったのにーー
ルキアには聞き慣れないすごく新しいことのように心に響いた

「・・・そうだ・・な・・ それでは濡れるのは当たり前・・・・」

ゆっくりと言葉を租借するように呟いて ルキアが対峙したまま俯いた。
部屋を背にしているので逆光で余計に表情が読み取り難くなった。
かといって 覗きこむのもなんだと思い、細い両肩に手をかけたままぎこちなく立ち上がって 
小さなルキアを近くから見下ろした。
死覇装の袴を両手でぎゅっと握り締めて俯いたままルキアが搾り出すように話し始めた。

「・・・恋次   私は・・・ わた・・しは・・・・・殺し・・・た・・・
 か・・かい・・海燕とのを・・・・こ・・・・殺してしまった・・」

ちいせぇ背中が 細い肩に乗せた腕だけでなく 傍目にも分かるほど震えていた。

ーー出合った頃のようにルキアが俺の前でさえ無防備に大泣きしなくなったのは戌吊で良平が
  コイツのために死んでからだったか・・・・・。

ルキアのそんな姿を見つめる俺の胸の内は何かに押し潰されているように痛いほど苦しいのに  
頭は妙に冷静でそんな古い過去を思い出していた。 

「ぁあ・・・ てめぇが殺した・・・・。
 魂に焼き付けて忘れちゃならねぇ・・・・・。」


何の感情も込めずに告げた俺の肯定の言葉に小さな身体がびくりと揺れた後、硬直したように
動かなくなった。

「そう・・私が・・・・・殺した・・ 」

俺たちの間にゆらりと風が流れて ルキアの力ない言葉を流していった。

「芝志波海燕は虚だった。
 俺らは死神なんだ、虚を殺さなくてどうする。
 死神が虚を殺さなくちゃならねぇのも魂を焼き付いてンんだろ?!」

俺はルキアに容赦なく現実を突きつけた。

「ーーー違う、恋次!  あれは  私が殺したのは海燕殿だ!」
「ふ・・・ん そうかよ。
 じゃぁ、もし、その志波海燕が虚じゃないってんなら ソイツを殺さないでいたなら てめぇは今
 ここに居れたのか?
 てめぇも同じように虚に飲まれて 仲間を騙して 同じ隊の死神を襲い喰らっちまうことになって
 たんじゃねぇのかよ?」

「ーーーーーーーーーーーーーーー」


長い沈黙が落ちるーー

「くくっ・・・てめぇの姿をした虚なら きっと俺も油断して喰われていたかもしれねぇな・・・」

沈黙の後に自嘲気味に言った俺の言葉に 弾かれたように顔を上げるとルキアが強く抗議してくる。

「何を言う、馬鹿恋次?!  
 私は絶対にそんな事しない!
 絶対貴様を騙して襲ったりしないし、貴様など喰らったりするものか!」

見上げた大きな瞳の視線の強さにルキアが少し戻ったように感じられて内心ほっとした。

「んじゃぁ、海燕副隊長はてめぇを襲わなかったのか?!
 喰らおうとはしなかったっていうのか!
 それともあの人は虚に簡単に操られるような弱い男だったってのか!!」

責めるような強い口調で 志波海燕を罵倒する言葉を放った俺にルキアが立ち上がってまで
感情を爆発させた。

「違う、違う!!  馬鹿恋次!!
 海燕殿は誰よりも強かった!
 私などよりずっとずっと強かった!
 ・・・貴様よりもずっとだ!!」

肩で息をするほど興奮して 俺を睨みつける瞳からはぽろぽろと涙が流れていた。

こうなると俺はもう今までみたいに強気で話すことはできなくなる・・・・・・・・。
困ったような情けない顔を向けているに違いないーーちくしょ・・・・

「強かった志波海燕副隊長に抑えられなかった虚を てめぇがどうやって抑えられるってんだ!?
 結局 てめぇも虚に飲まれたら 同じ隊の仲間の死神を殺し、俺も喰らっていただろう。」
「やだ!   私はそんなのはやだ!!
 誰も殺したくない!
 仲間や恋次を殺したくないし、 殺さない!
 だったら・・・・・ 殺してくれ!!
 いっそ、わたしを殺せ、恋次!!
 誰かを・・・・ 恋次を喰らうような虚になってまで生きていたくはない・・・・・・・・」

俺の袷を掴んで泣きながらルキアが俺に懇願するーー
実際に虚になった訳じゃないのに・・・・ 告げる言葉の強さに 真剣さにーー
ルキアの痛々しいほど苦しい今の気持ちを見せられたようで
殺して欲しいと 今懇願されているようで抱きしめずにはいられない。

「ルキア・・・・ルキア・・・・・ 落ち着けって・・・・
 なぁ・・・・ルキア・・・・
 てめぇが言ったその言葉こそが志波海燕の気持ちだったんじゃねぇのかよ。」

そっと告げた俺の言葉に胸の中に抱きしめた華奢な身体がまたびくりと震えてーー 

「ぅわああああああ・・・・・ かいえんどの! かいえんどの・・・・ かいえん・・・・ど・・・・
 ぁあああああああああっ・・・・・・」
「・・・・・・ルキア・・・・・ルキア・・・・・・ルキア・・・・・・・・・・」

何度も志波海燕の名前を呼びながら 叫ぶように大声を上げて泣くルキアの背中を擦った。
悲痛なその声に押し潰されそうな己の胸の痛みをルキアの名前を繰り返し呼ぶことで俺は
耐え忍んだーー


この頃の俺にはまだこの胸の痛みがなんなのかはっきりとは分かっていなかったーー
ただ ルキアの痛みを共有しているのだと思っていた。





「ルキア、想い出せよ・・・・・。
 こんなところで立ち留まっている場合じゃねぇだろ?
 先に現世に往っちまった大吾や総や良平が今度こそ平和で幸せに暮らせるようにーー
 俺らは死神になったんじゃねぇのかよ。
 強くなって例え一人でも多くの人間や整を虚から守ってやりたいって言ってたのは
 てめぇだろうが。」

感情的な泣きが落ち着くのを待って告げた言葉に腕の中のルキアがこっくりと頷いた。

「そうだ・・・・恋次。
 そのために死神になったのだ。
 もうあんな風に目の前で誰も殺させはしない。」

俺を見上げる泣き腫らした瞳が痛々しい。
だが、その瞳にはもうさっきまでの迷いも躊躇いも見えない。
俺たちが戌吊で愛し、守ろうとした綺麗な瑠璃色の瞳はあの頃と同じように強い意思を持って
眩しいほど光り輝いていた。

元のルキアに戻ったーー

元通り
ーー俺たちはまたそれぞれに生きていく
腕の中に抱いたルキアを離しがたくてまた強く抱きしめた。

一瞬抵抗するように細い腕が胸を押して身体が突っ張ったのに、どちらもすぐに力が抜けて
小さな頭も頬寄せて俺の胸の中にぴたりと納まった。



「恋次、私は死神として 人間や整や仲間を守るために全力で戦う。
 だが、もし・・・・・・ 万が一  虚に飲まれた時は・・・・・ 
 誰かを傷つけたり、喰らう前に貴様が殺してくれ。
 頼む・・・・・」

静かにそう言ったルキアに承諾の代わりに俺は 「俺の時もそうしてくれ。」 と答えれば、
「わかった・・・・・」  承諾の言葉を残して ルキアの瞳がゆっくりと閉じられた。

安心したように俺を完全に信頼して無防備に眠りに落ちてゆくルキアに 俺は己の狡さに
自己嫌悪に陥る。


俺にルキアは殺せないーー 

そんな自分を狡猾に誤魔化して ルキアの信頼に対するコレは裏切りでしかないーー
どんな姿になっても ルキアだと俺が認めている内は殺せるわけがない
殺されてもーーきっと・・・・・ 
ぎりぎりまでそんな覚悟ができる気がしないーー




「ーーーー朽木隊長」

俺の呼ぶ声に長い廊下の先から相変わらず感情の読めない能面のようなルキアの義兄
朽木隊長が静かに姿を現した。
びしょ濡れの俺が抱きしめた所為で同じように濡れてしまったルキアを隊長に渡した。

「記憶置換機はもう必要ねぇだろ。」

そう告げた後、ルキアを大事そうに抱き上げた隊長に背を向けて庭を歩き出した。

「どこに行く?」
「俺の居るべき場所に帰るんスよ。
 もう間もなくあんたが決めた期限だからな。」

振り向かずに 顎で指し示すように見上げた空は白み始めていた。

「恋次、礼を」「こっちはあんたから礼を言われる筋合いなんかねぇんだよ!!」

礼を言おうとしていた隊長の言葉を怒鳴って遮った。

「ルキアのために動いただけで これぽっちもあんたのためなんかじゃねぇ。
 あんたは俺に礼を言う必要なんかねぇんだよ。」

振り向いて朽木白哉を睨み上げた。

一段高い建物の中でルキアを胸に抱えている朽木白哉と全身濡れて髪も解けた情けない
姿の俺は今のお互いの立ち位置をよく表していてーー俺を余計に惨めな気分にさせた。

ーーこんな風に思うのは俺だけで
  どうせあの男には俺の気持ちなんか何も解かっちゃいないだろう。
  まだまだ俺には覚悟も実力も不足しているーー
  この気持ちはそれを再確認させられたが為の惨めさだ。
  だからルキアは 今も朽木隊長の腕の中にいるーーーー
  


「俺はあんたを絶対に倒す!」
「ーーー遠吠えは要らぬ。 
 見合う実力を付けて来るがいい。」

もっと見下したような冷ややかな対応をすると思っていた朽木隊長は俺が叩きつけた挑戦に
穏やかにそう返事をして ルキアを抱えて長い廊下を去っていった。







この翌朝から俺が見学していた朽木隊長の早朝の鍛錬を ルキアが同じように見学をして、
さらに鍛錬するようになるほど元気になったと清家の爺さんが後から知らせてくれた。
己の弱さから強さだけを求める鍛錬から虚から人間や整や同じ死神の仲間を守るという
はっきりとした目的と意思を持ったルキアはこの後 みるみる強く実力をつけたと。





そうして この後 いつまでも嫌な噂の渦巻く尸魂界からルキアを逃すように 
まるで人間や整を守るために死神になったルキアの望みを叶えるように 
十三番隊で内勤ばかりだったルキアが現世の空座町に1ヶ月の滞在任務が下る。

そこで ルキアは自分の命を賭けて黒崎の家族を護った。
黒崎一護という少年に自分の死神の力を貸与してまでーー
自分の命が極刑にかかることより目の前の現世の人間の命を護ることを選んだ。







運命の歯車は廻転する 
太陽と月が互いの姿を映し身とするように 
光と影のように刃を振り下ろし
死と生を運びくる


運命の歯車は容赦なく全てのみこんでいく  


振り下ろされる刃を止めるのは
護りたい必死な想い
 







あとがき